コラボレーション

リンク記念文集

おぎやはぎ編
テーマは、どうして、01年の「M1GP」で、おぎやはぎは「大阪」の票が入らなかったのかです。

おぎやはぎは「漫才」を中心とした関東、人力舎のコンビです。
「M1GP」の決勝に去年進出したことからも、その実力は高く評価されていると考えていいでしょ。
しかし、01年の「M1GP」では大阪の票が全く入らないという屈辱を味わっています。
では、何故、大阪の票が入らなかったのでしょ??ここからは、個人的な推測がかなり入るのでご了承を。

テキストにも書きましたが「漫才」は「ボケ」が話題の中心から話をずらし、「つっこみ」が、それを修正するというのが基本スタイルです。大阪の漫才はほぼこれに該当すると言っても良いのではないでしょうか。。
分かりやすく説明すると、ボケが「ー1」で、それに呼応するつっこみが「+1」の仕事をして、話題がぶれずに進みます。
が、「おぎやはぎ」のスタイルは二人とも「ボケ」といっても良いようなスタイルなのです。(本当は「突っ込む内容のボケ」に対して、「受け入れる突込み」を彼らは時たま見せます)
常識的に考えると、両方が「ボケ」ですと、話題がずれてしまうので何が話したいのか見えてこなくなってしまうものです。
ポイントはいつも「ボケあう」のではなく、話の導入や切り替えしなどのときにこの技法を使うのです。
「おぎやはぎ」はここを破綻無く「彼らの漫才」を成立させています。
これは、図式化すると{「-1」×「-1」}だとしか、説明が出来ないのです。(若干、へ理屈ぽいが)
これが、大阪の人の公式は、通常漫才を見るとき、掛け算ではなく足し算なので、分かりにくく感じたのかもしれません。。

そういえば、似たようなタイプともいえる「ラーメンズ」が、オンエア-バトルで「オフエアー」だったのも、「大阪」収録の日だったっけ・・・

フットボールアワー編
出会いは01年の秋だった。
スカパーの「吉本ファンダンゴTV」に加入してそこで、初めて彼らを観た。
HPを観て頂くと分かると思うが、僕は単純にお笑いが好きで、
それは、残念な事に「若手」って呼ばれる芸人さんよりも「観るプロ」である時間が長かったりするわけで
ひょっとすると、自分より若い芸人さんでは「笑えない」のかもしれないと諦めかけていた時だった。
彼らがマイクの前に立って話し始めた。
動きで見せるわけではない、テンションでもなかった、
顔で見せるわけでもなかった。久しぶりに「言葉」だった。
なんだろ??この緩い感覚は。久しぶりに「笑い」で戸惑った。
本当に久しぶりに「~~みたい」で括れない関西の若手に出会った。
そこから、baseのメンバーとかの漫才もちゃんと観るようになった。
若くても面白いやつはいる。

フットボールアワーはオンエアーバトルでは必ずしもいい成績とはいえない。
しかし、01年のM-1で「ゆうきロック」さんが一番怖いと言ったのは「フットボールアワー」だった。

リンクを貼って頂いた風花さんの彼らとの出会いもまた
僕のと似ているような気がした。
ダウンタウンの前から「笑い」を知っていて
それ以降の「笑い」も知っている人が「おやっ?」と
立ち止まってしまう「笑い」を作る。

・・・なのにべとつかない。
・・・副作用が止まらない。
ぼくは、フットの「笑い」の副作用が止まらない。

ルート33編
ルート33についてなんですが、実は僕は彼らと「縁」が無いんです。それなりに露出はしていたりもしたのに、ちゃんと観た事あるのは5回くらいでしょうか。。
ですから、「みやたま様」間違った事を言っていたら訂正してください。。

彼らを始めてみた時、正直何も感じなかった。こう書くとネガティブに読めるかもしれないけれど、これはこれで実はすごい事で、その頃の僕は「お笑い」に関しては「揚げ足取り」だったから、つまり、それは「漫才」として凄く丁寧で親切だったのだ。

そんな彼らが自分たちの「笑い」のスタイルを変えた。
今まで、きっちり、「ぼけ」と「つっこみ」を分けていたのを少し変化させたのだ。これは、僕のテキストの「漫才」の定義に
{特定の「ボケ」と特定の「つっこみ」}とあえて書いているように漫才の中で「ボケ」役が「つっこみ」に回るのは
例えて言うなら、サッカーのゴールキーパーが前線に出てシュートを打つようなものでとてもリスクが高いのだ。
ベテランの漫才を見る機会があると、この入れ替えがきっちり出来ていたりするのですが。。(exオール阪神巨人さん)
その理由は幾つかあるのだけれども、一番はっきりしているのが「漫才」自体が不自然なものになり易く、観ている側が混乱しやすく、不親切な笑いになりやすいのだ。

しかし、これはとてもマニアックな分析なのだが、次の漫才のスタイルを確立しようとする流れの中で、この自在性をいち早く確立したものが次の「笑い」を担っていけるのではないか。そんな予感もある。
具体的には、「2丁拳銃」や「ダイノジ」、「おぎやはぎ」も方法は違うけれども同じような試みをしているように思えてならない。

こうした、新しい流れの最終目的地はどこなのか??
それは、限りなく自然で、限りなくフリートークに近い漫才。
にあるように思うのです。

最近、彼らのネタを観ることが有ったのだけれども、まだまだぎこちない所も有って、この試みが成功するかどうかは今は言えないけれども、ぜひとも成功させて新しい「笑い」を創造して欲しいと思うのです。

ハリガネロック編
彼らの漫才を見ると僕はいつも「スーパーセブン」(詳しくはKENT
さんのHP、趣味車偏愛堂を見て下さい)を思い出す。この車、屋根も無ければ、ドアも無い。今軽自動車にさえ付いている快適設備なんてものも無い。2シーターで男が二人乗り込めばぎゅうぎゅうになってしまう。ただただ、「走る為」に生まれた車。
今の車のように、走りをコンピューターが制御するなんてことも無いとてもシンプルな構造の車。

彼は両手を広げ、サングラスをかけ、吼えるようにセンターマイクへ向かう。彼らのライバルは「天素」と「base」の間の世代。
芸達者で、独自のスタイルを確立した中川家
歌も歌い、その前の世代のシュールさを上手く漫才に昇華させた2丁拳銃
リズムがよく、トーク力もあり、今や新喜劇だってこなすcowcow
正統派の漫才を極限まで突き詰めた感じもあるますだおかだ
素晴らしい発想力を丁寧に観やすい漫才にしたルート33
軽やかで、スタイリッシュな品川庄司
コント的な状況を上手にいなす方法で漫才に仕立て上げるおぎやはぎ
・・・・・こうしたライバルに比べて彼らの漫才はなんて不器用で、無骨でざらついた印象の漫才なんだろう。

両手を広げた彼は漫才の間、ずっと「毒」を吐き続ける。
それは、ばっさり切り捨てるような「毒」ではない。10代の少年が持つようなナイーブな「毒」でもない。どっか照れていて、だだをこねるような「毒」だ。
相方はその吐き散らかした「毒」を丁寧に拾っていく。。とても単純な作り、そして一見誰しもが出来そうなスタイルの漫才。
とぶくすり・ボキャブラ世代を超えて、ダウンタウン・ウンナン・トンネルズ世代を超えて、このスタイルの漫才は「ツービート」まで遡らないといけない。。ともすると時代遅れのスタイル。。。

「スーパーセブン」は決してパワーがあるわけじゃない。ましてや数値上のスピードが出るわけでもない。ただ、この上なく軽いボディーとストイックなまでに走るその姿勢はどんな道を走ろうともドライバーをサーキットで走っているかのような錯覚を与える。
高性能な車の楽しみは確かにある。が、時代遅れの「スーパーセブン」の不器用さが教えてくれる「楽しさ」は他の車では教えてもらえないものでもある。

両手を広げた彼はセンターマイクの前に立つとさっとサングラスをはずし
「目離れてます~」と
これから毒を吐き続けることへの照れなのか、カメラ目線ではなくまずは「自虐ネタ」から入ってくる。
僕は「なんて不器用なんだろう!」とつぶやきながら、それでもそのシンプルな漫才ゆえの「スピード感」やぐいぐいと客をつかもうとする「強引さ」を今日も楽しませてもらうのだろう。

さくらさんこんな感じでいいです??
ちょっと意外な感じですか。シンプルに見えるものほどえてして奥が深いものなんですよね。だから、彼らは「挑戦者」の立場の方がその力を発揮できると思うんですよ。受身に立つより攻めの姿勢が出ているときの方が・・・それが一昨年のM‐1であり、02年ののオンバトチャンピオン大会だったと思うんですよ。

ブラーザース編
そもそもお笑いとは、笑えない状況が生み出すことが多い。本当に仲の良い人との間でさえ、その人の成功話より失敗談の方が面白いのが世の常だと言えます。
この点についてはホントはものすごく丁寧に説明しなきゃいけないのだけれども、端的に言って「癒し系の笑い」と言うのはそれ自体に矛盾が有るんです。
で、ブラザース。彼らを知っているのは関東のルミネに通っている人位かな?スカパーで観た人もいますかね?
実は、テレビ露出も多く人気も実力も有るメンバーが揃った(ダイノジ、インパルス、ニブンノゴ等)5時6時カップで、彼らは見事優勝しました。トーナメント方式の決勝大会を制すためには、ただ単純に面白くても駄目だと言えます。
決勝戦に残ったカリカは観客を取り込む構造のコントでライブの良さを引き出してきました。
それに対してブラザースは相手が取った笑いを利用してもう一度笑いを取ってきたのです。
同じ事を繰り返す事をてんどんって言いますが、これは普通同じ人がやるからオモシロイですが。彼らは上手く作用点を入れ換えてきました。
他にも彼らのネタはどっかで一度観た、聞いたな?(例えば、紙芝居、メガネ、ラジオ体操など)っていうものを上手くアレンジしてくるのです。
じゃあ、単純にパロディなのかというとそうでもない。
ちょっとだけ観るとのっぽとめがねのコンビ。癖がなくてあんまり印象に残らないかも。
でも、よくよく聴いてみれば、彼らの漫才に対しての想いが詰まっている、ほのぼのにみえてけっこうしたたかな漫才をしてきます。ねっ、ワリリン!
(いくつか、彼らのネタをぱくっています。)

ダイノジ編
別に、ここで、媚びても誰の得にもなんないだろうけどさ。
僕は、誰にも媚びるつもりはない。

僕はあのネタでダイノジが勝負してくると予想した上で、
M-1の優勝予想をダイノジにした。それくらいあのネタは
舞台の上で彼らがこの一年何度も試行錯誤して作っていったものだと僕は信じている。
あのネタすっごい面白いんだよ。

ダイノジはコントも漫才も両方出来る。
というよりも、彼らの漫才は漫才において出来るだけコント的な要素を多く含ませているからに他ならない。関西だと中川家も似たような構造の漫才を行うけれども、
中川家の方が漫才としての推進力(次の展開に進めようとする力)が強い気がする。
ダイノジはもっと「同じシチュエーション上でどれだけのことがやれるか?」見たいなことを楽しんでいるような気がしてならない。
これはね、一個づつコントを挟んでいく度に、僕に見えないゴムを持った人が一歩一歩下がっていく良い緊張感をもたらせてくれる。

そして、コントのところを全部切り取って漫才の骨組みだけにしてみると実にシンプルで「典型的漫才」のスタイルをとっていることが分かる。

大谷さんが話を振る、それは時におなじみのフレーズであったり、時にアドリブぽかったり。これに、大地さんは「のる」のだ、のった上でめいいっぱいの力で応える大地さん。。。
ここで、見えないゴムを持った人がもう一歩後ろに踏み出す
ふと、一度社会に出た経験が彼の柔軟さを生んでいるのかもしれないなんて考えてみた。
確か、彼は飲食チェーン店に就職したはずだ・・ひょっとすると、そのころのサービス精神が彼らの笑いの中にもあるのかも知れない。

見る側に分かりやすい構造の笑いや言葉の選択の仕方は大谷さんの文学少年であって、ロックないち面が垣間見れる。

M-1での評価だけが彼らの評価じゃない。
リベンジの時はきっとくるはずだ。僕はそう信じている

チャイルドマシーン編
チャイルドマシーンを今度見る機会があったらよく観察してみてください。山本さんはさっと、お客さんの反応を見ながらしたたかにお笑いをコントロールしていますから。これ、大袈裟ではなくダウンタウンやナイティーンナインなど吉本の売れっ子の条件の一つにいいつっこみがいる。というのが挙げられます。
大きく漫才における「つっこみ」を分けますと、
ツービートのきよしさん、ドンドコドンの平畠さんなどのようにほとんど、ぼけのずらした笑いを拾っていくタイプの「つっこみ」と、
中川家の礼二さんや大助花子の花子さんのように「つっこみ」が笑いの推進力を積極的にとりにいくタイプがあります。

で、「ぼけ」に必要なのは才能だと僕は思うんですが、「つっこみ」に必要なのは「努力」と「配慮」だと思います。
いいつっこみかどうか僕が見分けるポイントは観客と相方の両方を同時に満足(納得)させる仕事ができているか、相方の良さを最大限に引き出せているかで、僕は見ています。
つっこみと言うとすぐに、ただ強くつっこむ事をイメージしがちですが、ためてためた方がより大きい笑いを生み出せることもあるのです。
だから、つっこみの人だけが笑っちゃうのはとってももったいないことなんです。

機会があれば、こうした視線でチャイルドマシーンの山本さんのつっこみを見てください。時に素早く、時にいなし、面白フレーズを相方の樅野さんが言った時はゆっくりと言いなおしたり、
ともかく、お客さんに一番伝わりやすい「つっこみ」を心がけているのがわかるでしょう。
これが、ライブになるとさらに磨きがかかります。個人的には「東京吉本のお笑いボランチ」と思っています。

で、山本さんを見ていると、どうしても中田カフス師匠を思い出すんですよね・・・これは僕だけかな??山本さんは関西出身なんですよね。影響は有るのかな??

最後に、山本さんばかり今回は書きましたが、勿論樅野さんも凄いんですよ。つっこみだけでは、けしてお笑いは成立しないんで。


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